競合する秩序のただ中における位置
価値統治は明確な立場をとる。資本主義に対しては、市場が値付けせぬ外部性に価格を付け、値付けされぬまま残された集中を捕捉しつつ、市場をそれが得意とすることのために保つ。社会主義に対しては、不労のもののみを共有化し、経済の中央指令を拒む。技術官僚制に対しては、何人も善を計算しうるとは認めず、重みを投票へと返す。
政治的現実主義に対しては、実効的真理の方法、すなわち人々が実際にいかに振る舞うかに抗して設計することを採りつつ、当為を不可侵の憲章として固定する:機構においては実効的真理、境界においては義務論的である。そして徳の伝統からは、信頼と意味の基層を受け取りつつ、賢人と形而上学は退ける。それは第三の立場である。資本主義者が社会主義と呼ぶことはできず、社会主義者が資本主義と呼ぶことはできず、立憲主義者が無法と呼ぶこともできない。思想家ごとの完全な台帳は系譜と批判にある。
その意味するところ
価値統治は、それぞれの競争相手に対して明確な立場を取り、その間で曖昧に濁ることをしない。資本主義に対しては、市場を保ちつつ、市場が手つかずに残す外部性を価格づけし、集中を捕獲する。社会主義に対しては、不労のものだけを共有化し、生産手段を所有することも操縦することも拒む。技術官僚制に対しては、何人も善を算出しうるという説を否認し、加重を投票に委ねる。政治的現実主義に対しては、実効的真理の方法、すなわち人々をあるがままに見て設計することを採りつつ、当為を不可侵の憲章として固定する(機構においては実効的真理、境界においては義務論的)。そして徳の伝統からは、信頼と意味という基層を受け取りつつ、聖人と形而上学を退ける。その結果は、資本家が社会主義とは呼びえず、社会主義者が資本主義とは呼びえず、立憲主義者が無法とは呼びえぬ、第三の立場である。
価値統治がそれを必要とする理由
何に抗して立つのかを語ろうとせぬ教義は、空虚であるか、さもなくば身を隠しているのであり、国家の元首はそれを正確に位置づけねばならない。本節が存するのは、その立場を明白に述べるためである。しかして価値統治は、借り物の寄せ集めでも、馴染みあるものの改称でもなく、輪郭の鮮明な独自の秩序として可読となる。
他の手法との比較
これは系譜と批判の全体を縮図としたもの、すなわち何が取り入れられ、適応させられ、拒まれたかを思想家ごとに記した台帳である。それは「第三の道」ないし混合経済から袂を分かつ。かの立場は古い軸の上で差を折半するが、価値統治は中点を選ぶのではなく軸そのものを描き直す(労のものと不労のもの、是正と指揮)。そしてそれは、自由主義的資本主義を終着とみなす「歴史の終わり」の前提を退ける。台帳の全容は系譜を参照せよ。