『国家』 · 紀元前375年頃
プラトン
源流相違
調和としての正義はまさに価値統治の作動そのものである。哲人王は拒絶される:舵取りは認め、その王座は拒む。
参照した版。 『国家』第I巻から第X巻を一行ずつ精読(ジョウェット訳)。
受け継いだもの
調和としての正義、諸部分にわたる節制、一つの部分が全体を簒奪することとしての不正義、これはまさに十の軸にわたって読まれた価値統治的な作動である。軸の両極端はともに病であり、ゆえに健康は頂点ではなく帯域である。政体の堕落は価値統治の存続可能性の科学であり、無所有の守護者たちは、権力を富から切り離す譲渡不能の台帳の祖先である。
相違する点と、その応答
哲人王と、単一の認識可能な善は拒絶される:手段に関する専門知は実在するが、目的に関する権威は人民のもとにとどまり、正統性は知識ではない。高貴な嘘と芸術の検閲は、公式の真理を持たないことと、検閲せず注釈するという原則のために退けられる。洞窟の比喩は保持されるが、価値統治がそれ自身のダッシュボードにかざす鏡へと転じられる。
総括的な立場
源流である。それは価値統治の作動、その死(単一最適化)、そしてその台帳を名づける。そしてその哲人王は、価値統治の可謬主義的で公式の真理を持たない誓約が乗り越えるべく築かれた、最も鋭い試練である。